鏑木VSえくんちょ
2003年7月6日夕方、泥だらけの足のまま やっと手にした名簿を見ていると その時点で初めて 
北丹沢の前年の優勝者が群馬県庁の鏑木毅さんという人物だと知る。これが私お得意の面識の無い出会いであった。

2003年師走。ジョギングをしているとこんな事を思いついた。北丹沢で今年も優勝した鏑木さんに逢って対談なんて出来ないだろうかと・・・。
年が明けて新年、調べる程に鏑木さんという人物は凄い人だという事が分かった。県庁では「出前講座」という職員の特技を活かした
講座をしていて、15人集めればその講座を開設できるのだが、駄目もとで県庁を通さず直接本人に手紙をだした。
すると 早速返事が来て私一人の為に快く引き受けてくれた。
 1   鏑木VSえくんちょ
更新日時:
 
2004年1月13日、県庁の29階に行くと 鏑木さんは自分の職場に案内してくれた。そして椅子に座って早々に
「トレーニング場所、見てみます?」と秘密の場所に私を招待した。非常階段だった。
 
「1階から30階までは150mの高さを登る事になるんですけど
これを昼休みに何往復かするんですよ。20回連続でこれを
繰り返せば富士山のような高さになるんですよ。あはは♪」
私「・・・・・・・・!?」
 
しかしこれは冗談ではなかった。鏑木さんは出場選手2000人をゆうに越える富士登山競走の二連覇した人物だったのだ。
21kmで標高差3000m、制限時間4時間30分。
完走できるのは出場者の半分にも満たない。
そんな最強の日本一高い山を日本一速く登った男なのだ。
 
北丹沢は3連覇を達成し、北丹沢の3週間後に
富士登山競走があり「北丹沢は富士のリハーサルのようなもの」
と言っていた。わずか3週間前のあんな過酷なレースそものもが
「リハーサル」とは信じられない事であった。
 
富士初優勝の時の写真も見せて頂いた。
思わず拝みたくなる程 その表情は肉体と精神の限界を超越した
「魂の叫び」そのものだった。
 
内閣総理大臣杯という関取もビックリな杯で勝利の美酒に酔いしれ
(↑あくまでも私の想像です!)
スポンサーからの祝品が半端ではなくトラックをチャーターしないと家に持って帰れない程らしい(笑)。
 
大会で連覇を重ねる方の靴とはどんな物だろう?
と聞くとそれも見せて頂いた。
「これが北丹沢と富士で優勝した時の靴。今でもバリバリですよ!」
予想に反して普通で軽めのマラソンシューズだった。
鏑木さんには装備の工夫された靴はいらない。
浮き石やガレ場を越えるテクニックは
鏑木さんのたゆまない努力によって 足の筋肉に搭載されていて
高価なシューズなど必要もないのだ。
 
ランナーの半数が重装備で臨んだ北丹沢も 
鏑木さんは500mlのボトルに半分 水を入れただけだったという。
 
他の出場者の話によれば 私が苦しんだあの第二関門を
1位の選手は3時間も掛からないで駆け抜けて行き、
後続は その30分後に通過したという事で
1位がいかにズバ抜けていた事がうかがえた という事だった。
 
まさに鏑木さんの事ではないか!!
 
優勝タイム4時間20分38秒←私が第一関門を出発した同時間!
2位に30分の大差で圧勝。
 
先頭という事は登山道の分かり辛い分岐など
熟知してないと走る事などできない。鏑木さんはこう続けた。
「レース前に2、3回は地図片手に試走してるんですよ。
沢の流れで飲めそうな場所が無いかもチェックします。
勝利(勝つ)為には身軽じゃないと駄目ですっ!」
 
私がもしこれを行うとしたら日が暮れてしまうし遭難の危険が高い。
きっと鏑木さんのレースの模様は リポビタンDのCMが何編にも
渡って撮影できる程 名場面(見せ場)の連続なのだと思った。
 
群馬県庁のあの高さは鏑木さんの為にあるようなモノに思えた。
 
サインも頂いた。1つは北丹沢のTシャツの腕に
「鏑木毅」と力強く書いてもらい、2つ目は安政遠足のTシャツに
「私のサインもあるんですよ(笑)!」と
芸能人ばりの素敵なサインを書いてくれた。
 
最後に写真も一緒に撮って頂き、Tシャツと写真とお話した時間は私の最大の宝物となった。
長身で細身の笑顔が実に爽やかな人だった。
 
最初、鏑木さんに「何で北丹沢なんか出ようと思ったの?」
と聞かれ 緊張のあまりどんな答え方をしたのかも覚えていない、
が 今なら答えがでたような気がした。
 
北丹沢に出なければ山岳マラソンに一生縁がなかっただろうし
こんなに近くにいながら鏑木さんの事を
知らないで終わっていたかもしれない。
この北丹沢は私に素晴らしい出会いを与えてくれた。
 
自然を相手に己と向き合い、自然を愛する仲間と共通の時間
戦うと言う事は 時にもがき苦しみ大きな痛みと挫折という
「涙漬けのしょっぱい実」を食らうかもしれないが、
それを乗り越え、達成した喜びは果てしなく大きく
掴んだその実は「絶妙に甘い!!」
 
きっと鏑木さんは最強の山岳ランナーとして存在し続ける為に
これからも最高の努力を重ねてゆくのだろう。
 
最後に鏑木さんが「近い将来、本を出版するかもしれないよ。」と
まだ作成途中の分厚い原稿をチラリと見せてくれた。
さすがに中身は企業秘密らしく見る事は出来なかったが
その笑顔と原稿の分厚さは中身の充実振りをうかがわせていた。
 
いつか 鏑木さんの本が書店に並んだ時、
えくんちょはどんな思いで その本を 手にとるのであろうか。
そんな姿を頭の中で勝手に想像しつつ 
鏑木さんとえくんちょの有意義な対談は幕を下ろしたのでした!
 
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鏑木さんの貴重な昼休みを私の為に時間をとって下さり
本当に感謝しています。
おかげで2004年は無事に完走をする事ができました。
 
でも ビリでしたが(笑)
 
ある意味トップですよね(汗)ビリの・・・。
 
て訳で 今年はトップとビリトップの群馬独占は叶いませんでしたが
いつかそうなったら面白いですね!
 
って事はまた私はビリですね(爆)!
 
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私の知っている人で 鏑木さんと大学で同期だった方がいました。
最近そんな事を初めて聞いたのです。
その話を聞いて人っていろんな所でつながってるのだなあ〜
と思いました。当時から鏑木さんは
「○○○テ」だったそうです(笑)。
う〜む、さすがです!!
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







 
 
 


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