取材日2004年10月10日

北リタ記者のハセツネ珍道中

第12回 日本山岳耐久レース(長谷川恒夫CUP)のレポートだよ!北リタ記者、本当にお疲れ様でした!!
修正箇所が何箇所かありましたが(笑)ほぼ北リタ君が提出した原稿に近い仕上がりになったと思います。
※途中過激な表現、不適切な画像がありますことをお許し下さい(笑)
爆睡
爆睡

レース前夜、期待と不安が交錯するなか夜10時に床につく。果たして寝られるであろうか・・・。
 
ところが朝8時まで爆睡。おいおい、北リタ記者、緊張感ゼロじゃないの?
遠足前の小学生だって緊張して早く目が覚めるのに。
出発
出発

朝9時、JR山手線に乗り込む。もうこの時間、ハイキングや登山に行く人の姿は皆無。
週末の町を楽しむアベックや家族連れが心なしか華やかに見える。
あー、ハセツネやめて映画に行きたい。ケンタも食べたい。マクドも食べたい。
 
新宿駅で中央特快高尾行きに乗り替える。同じ車両に、トレイル・シューズを履いた精悍な顔立ちの中年が座っている。
お互いの装備をチラリと覗き一瞬の見定め。張りつめる緊張感
 
おぬし「ハセツネ」、俺も「ハセツネ」、無言の連帯感
駅

やがて、立川駅で青梅線に乗り換える。
いかにもハセツネに出ますといった姿の人々がぞろぞろと階段を登っていく。
うーっ。登るのが早い。おぬしやるなー。ふくらはぎが太い。腹がてない。髪の毛が濃い
北リタ記者いきなり劣等感。自信をなくす。
 
拝島駅で五日市線に乗り換える時には、もうハセツネ一色。
乗客の8割はリュックの肩からチューブをぶら下げている光景は何とも異様。
皆さん、お元気そうな姿して、なんで点滴してるの・・・
 
 
スタートゲート
そして、ハセツネの会場に到着。
 
今日はコースが不良馬場なので絶対にスパッツが必要。
 
特設ショップ

5,000円札を握りしめて、ハセツネ名物の出店ショップへ行く。
 
念願のトレールシューズ用スパッツが買える。ルンルン
 
「すいません。スパッツはどこで売ってますか?」
 
「今日はだから、全部売り切れだよ。」
 
が〜〜〜〜〜ん!!!」
 
 
大会会長の森谷重二朗と石川選手( I 様 )

そして、霧雨の中ハセツネのスタート時間が近づく。
 
あきる野市長の挨拶に続いて優勝カップ返還。
 
連覇を狙う石川選手がカップをたずさえ登場。
 
そしてマイクを握ると、
 
「アメリカのレースで怪我をしてドクターストップです・・皆さん頑張ってください」
 
え〜〜、出ないの・・・
 
スタート直前の最前列
スタート1分前。
 
「ところで、鏑木選手はどこー?」
 
スタートの先頭集団を探すが、鏑木選手の顔が見えない。
決死のフライング!!
スタート30秒前。
 
先頭集団の写真を撮るため意を決してスタートラインの前に飛び出す
 
そして先頭集団の選手達とにらめっこ。(
 
ジロジロ、「やはり鏑木選手がいない」(脂汗
 
しかたなく「はいチーズ」シャッターを切る。
 
「おいおい、そこの選手なにやってんだ。フライングだぞー。」
 
スタート直後の林道
午後1時、いきなり「ヨーイ・ドン」
 
小雨降る中、第12回日本山岳耐久レースがいよいよ開始。
 
北リタ記者はコースの外へはじき出されるように押しのけられる。
 
我に返った北リタ記者は走り始めた選手の間にズル込みをして、レースに強引に参加。
 
 
 
今熊神社手前の林道
あきる野市の街中を抜けて、秋川渓谷の橋を渡り、
里山へと選手達は凄いスピードで駆け抜けていく。
 
北リタ記者も必死に走るが
徐々に林道も上り坂になり、選手にどんどんと抜かれる。
今熊山直下
やがて今熊神社の石段が見えてくる。
 
しかし、昨年は垂直の壁に見えた神社の石段が、今年は緩やかに見える。
 
「よっしゃー、今年は調子が良いぞー!」
 
 
登り坂はマイペースで歩き、下りと平地は小走りに進む。
 
体も全然疲れてないが、「セーブ・セーブ」と自分に言いきかせる。
 
歩きなれた道、このペースなら浅間峠(第一関門)に5時間半は楽勝。
 
高まるアドレナリンを抑えて、ゆっくりゆっくり進む。
 
妄想
妄想

浅間峠に5時間半、月夜見山駐車場に11時間、長尾平に16時間、
そしてのんびり金比羅尾根を下ってゴール20時間。よしよし、初完走で20時間も楽に切れるぞー。
俺って結構すごいかも・・・・ と一人ニヤニヤしながら皮算用をする。
 
レースが終わって編集長に意気揚々とレース報告をしている自分の姿を想像しながら、またもニヤニヤ。(お前は変態か)
 
入山峠渋滞中です、道路交通情報センターのふるやでした〜。(群馬県民限定? 爆)
先に見える石段がボトルネックになっていて
なかなか前に進めず。
 
北リタ記者、順番がくるまでしばしの休息。
 
 
 
 
 
 
 
江頭の予告
江頭の予告

さて渋滞も解消に向かい再び山道に喰らいついていると突然、体のデカイ外国人選手が目の前に割り込んでくる。
急な坂もグイグイと登っていく、この外国人、巨漢のわりに随分と速い
「この進駐軍に負けてたまるか」時代錯誤の北リタ記者は、必死についていく。
 
っとその時、奥多摩の静寂破るが如く
 
ブー、ブリブリブリ、ブヒー、ブー」と巨大Heをそのぃ隊はこいた。
 
まさに目との先、北リタ記者は失神寸前。「畜生GAPPEMUKATUKU!こんな所に大量破壊ぃ器ブチまきやがってー」
貯金
貯金

去年はバテバテで、急な登りと急な下りしかないコースだと思っていたが、冷静に見ると平らな道が結構ある。
その平坦な部分をこまめに走るとかなり貯金できる。
 
そして、「走り」と、「歩き」とでは、使う筋肉も微妙に違い、
歩きオンリーよりも走りを混ぜた方が筋肉の疲労が少なくなるような気がした。
 
時々、凄いスピードで駆け抜けていく選手を見ていると、自分も同じように飛ばしたい衝動に駆られる。
しかし、自分に言いきかせる・・・「あいつら、まだまだい」。
すっかりナルシストと化した北リタ記者は再びニヤニヤと怪しい笑みを浮かべる。
早くも夜
早くも夜

午後4時半、さあ、あと2時間弱で浅間峠、第一関門だ。そろそろ選手がヘッドランプを点灯し始める。
晴れていればまだ明るい時間なのに、今日はあいにくの小雨模様で同然。
 
ヘッドランプを点灯すると、アドベンチャー・レースの雰囲気が出てくる。
このあたりが北丹沢とハセツネの大きな違いだろうか。
ヘッドランプを点灯すると、自分の周辺だけしか見えなくなり、孤独な山旅という雰囲気になってくる。
 
昨年のレースは天気がよく、選手のランプと、山麓の町のあかり、そして夜空が混ざり合い、
自分が宇宙を彷徨っているような錯覚を覚えたものだが、今年は霧も出ており近くの選手のランプしか見えない。
江頭のタタリ
江頭のタタリ

突然、左足に違和感。「やばい、また膝痛か」 一歩進む毎に違和感は痛みに変わってくる。
第一関門まで、まだ6〜7km程はある。下りは横を向き、木や枝に捕まりながらズルズルとおりる。
次々に選手に抜かれていく。そしてヘッドランプの明かりが霧の中に消えていく。
「とにかく、第一関門までたどり着かなくては」と心は焦るが、体は言うことを聞かない。
 
足を引きずりながら霧雨の降る夜道を下っていると、戦時中の兵隊さんのことを思った。(ちなみに僕は戦後生まれです。)
そして鼻歌で軍歌を「♪友を背にして道なき道を、行けば戦野は夜の雨―♪っとくりゃー (←これは合いの手)」。
 
午後7時23分、浅間峠の第一関門(22.66Km)を6時間23分で通過
片足を引きずっての歩行だったが、去年のタイムより約40短縮でき嬉しかった。足の故障やまれる。
 
第一関門の先は緩やかな登り、試しに登ってみるが足は全然痛くない。しかし、下りになると左足に激痛が走る。
 
続行はもう無理か。しかたなく、第一関門に戻る事にする。リタイア決定
 
涙

ここで初めて、コースの逆走を経験する。
真っ暗闇の中を、修行僧のような様相でヘッドランプを付けた選手が、黙々と進んでくる姿は幻想的であった。
 
リタイアを申告した後、更に小一時間の山道を下る。これがまた辛かった。ストックにしがみつき、
足を引きずりながら再び鼻歌「♪友を背にして道なき道を、行けば戦野は夜の雨―♪」。
 
そして、麓の村のあかりが見えてくると、レースを去る悲しさがこみ上げてくる。
 
選手達がっているであろう奥多摩の山々を見上げて、思わず鼻歌。
「♪さらばラバウルよ、また来るまでは、しばし別れのがにじむ〜♪」
 
だんべ汁
だんべえ汁

リタイア収容バスに揺られて、大会本部前に夜9時少し前に着く。リタイア収容バス第号の到着だ。
 
役員の方が「だんべ汁、できてますヨー」と案内してくれる。お腹が空いてなかったが、
折角のお誘いなので、だんべ汁を食べに行く事にする。
 
なんと、北リタ記者がだんべ汁番乗り。豚汁に似た味で大変美味
 
もっとお腹を空かしてくるんだと後悔した。(君、何をしにきたの?)
 
編集長、とりあえず番をゲットしました。番は番ですよね!
勝利者

体育館に戻り着替えをして、またゴールに戻ってくるとなにやら騒がしい。
 
北リタ記者はカメラを持って走っていくと、トップがゴールした直後だった。
 
選手は、立つこともままならぬほど足を痛め、全身だらけ、
足には生々しい傷口からが出ていた。
 
そのボロボロの容姿に反して、厳しいレースを戦い抜いた人間の尊厳を感じた。
 
素晴らしい、感動
 
今回は韓国選手の活躍が目覚ましいと役員の間で話が盛り上がっていた。
 
北リタ記者も 「ヨン様ブームもあるし、日韓親善のためにも韓国の選手に
トップを取ってもらいたいね」などと役員と冗談を交わしていたので、
てっきりトップでゴールした選手が韓国の選手だと思った
日韓親善・・・

 
この選手は疲労で口が回らず、片言の日本語を喋っているように聞こえたので、
絶対に韓国の選手だと信じ切ってしまった。
 
国際親善は大切だと思い北リタ記者は、トップの選手に手を差し出し、
 
そして、ゆっくりとと日本語で
「お・め・で・と・う・ご・ざ・い・ま・す」と語りかけると、
 
彼も北リタ記者の手を強く握って、
「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」と日本語で答えてくれた。
 
韓国の国旗が清々しい
3位までのゴールを見届けて北リタ記者は帰路についた。
 
帰りの電車の中で、「いやー、あの韓国の選手凄かったなー、オーラがさしていたなー、
スポーツは最高の国際親善だ」と清々しい気持ちで一杯だった。
右から1位 2位 3位
家に帰り、インターネットの速報を見ると・・・・
 
あれっ・・・・??「横山、2位阿部、3位南宮」。
 
 
 
「何じゃこりゃー!!」
 
 
北リタ記者が握手をしたのは、な、なんと日本人だった。
 
 
 
 
あん?
あん?

ヨン様助けてーっ」・・・
 
 
 
 
 
 
 
写真&原稿     北リタ記者
脚色編集&画像  えくんちょ編集長
 
付録
付録

what??ボクハ イマ 
 
冬ノドナタ(バク)
 
ナットウマキ デマエデ イソガシ〜
 
ダカラ ムリ!!
 
 
 
 
 
 
本当にTHE END byえくんちょ(爆)
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Last updated: 2004/10/22